昭和58年10月1日 月次祭    いけじりせいき



つい先ほどまで、えぇ、大変な熱がございましてね、えぇ、氷枕で冷やしておりましたら、えぇl、時間ちょっと前になりましたら、なんか爽やかで、熱も下がったように思いますので、今日は御無礼するつもりの方が、一口、お話を聞いて頂くことになりました。

えぇ、いよいよ教祖100年の記念の御大祭が、間近に迫ってまいりました。合楽としては何か、千、んん、百名の者が、お参りをする訳でございますが、参ろうと思っとったけれども、旅費も備え、ちゃんと、みな万端済んでおったけれども、何か都合がでけてお参りが出来なくなったなんて様な事は良くありがちな事です、これは銘々が一心に、お参りの出来ることを、願わなければいけません。お縋がりしておかなければいけません。丁度丸50年になります、教祖50年祭の時に私は久留米の荘島の判光屋というお酒屋の番頭をしておりました。19歳でした。今が69歳ですから丁度50年前です。椛目の里の方から、「今度は久留米から千人参りの計画が立てられておるから、あんたも是非、それに参加するように」と言うて再三言うて、よこしましたけれども、その当時の小僧とか番頭とかという、まあ使用人という者は、そんなにわがまま勝手なことは、まあ出来ませんでした。お参りしたいなと思っておりましたけれども、おぉ~、言い出しそびれておりましたら、毎日荘島から櫛原へ、日参のおかげを頂いておりましたから、久留米の初代が丁度御結界にお付きになっておられましたので、お取次ぎを頂きました。そしたらしばらく御祈念をして下さって、「大坪さん一心に願いなさい」と仰った。「お取次ぎをしてあげましょう」とは仰らなかった。そん時は分からなかった。そん為にお願いしたのにと思ったんだけれど、ね、「一心に願いなさい」と仰せられた。でそのまま毎日お参りすることでございますから、お繰り合わせを願うておりましたら、それから2、3日後でした、荘島に前田さんという、判光屋さんの、まあ大変上得意のお得意さんがございました。もう七十四、五ぐらいになられるおじいさんおばあさん二人で暮らしておられた。ある日配達に参りましたら、「家のおじいちゃん今度の千人参りにお参りさせたいけれども、一人では参らせられんから、、、」と悔やみなさいますもん。私が金光様の信者ということは、知ってか知らずか知らんけど言われる、、、「いやぁ実は私もね、お参りしたいんですけれども、中々言い出しそびれております」と言うたら、そこのおばあちゃまがね、「そりゃぁ大坪さん、んなら私がご主人にお願いしてあげよう」と。と言うてもう早速お願いに行って下さいましたら、あぁ日頃、大切なお得意さんですから、もう、おぉ、一つ返事でお許しを頂きました。おかげで、いわゆる合楽っ、当時の久留米の千人参りというのが今にもまだ残っておりますが、その千人参りに合うことが出来ました、丁度丸50年前でございます。ね、だからたったそれだけの事の中に私は、あの、おぉ、「お取次ぎしてあげましょう」じゃなくて、「一心に願いなさい」と、しかも御祈念をして仰った事が今になって分かるのです、信心を育てて下さろうとするお取次ぎの働きです。皆さん一心に願わにゃいけませんです。ただお金を払うとるから、いや費用は出けとあるから、というのではなく、どういう、うぅ、差支えが出来るやらも分かりませんので、やはり一心にお縋りをさせてもらう、ただ一心にお縋りをするということは、合楽では、ね、例えば教祖のみ教えの中にもございますように、ね、「一心を立つればわが心に神がござるからおかげになるのじゃ」と、石のお地蔵さんでも、石の祠でも、ね、一心不乱に、えぇ、まあ、拝む修行でもさしてもらったら、っぱ奇跡ぐらいは現れる、金光教でもただ御祈念力とか、一心に願ったからおかげ頂いたというのは、まあ、もちろん取次者の祈りもあることながら、ん、わが心の神がござるから、おかげを受けるというようなおかげでは、信心が血にも肉にもなりません。そこで、ね、どうしても、教祖のみ教えを私共の生活の上に、しかも身近に、誰でも、それを行じられる手立てが、合楽では合楽理念と申しておるわけでございます。
まあ、こうやっておかげを頂いておりますと、色々と心外な事を聞くことがございます。本部辺りでも、偉い先生方が、いかにもこう、合楽は教団に弓を引くような、あぁ、異端視される向きが、あ、色々、お、聞きます。まっ残念と言や残念ですけれども、真一心、これは、ね、かならっ、今日も私はその事を思うておりましたら、ん~、「分からせるな、分かる時が来る」と神様が仰っ(感動)、分からせようと思うことはいらん、ただいよいよ合楽理念を血に肉にして、日々、天地との、交流を、はからせて頂きながらの信心生活をいよいよ高めて、行く、いわゆる天地とのコミュニケーションの場が生活の現場に、頂き現わされる、おかげを頂いてもらいたい。
昨日、病院で休んでおりましたら、色々とお知らせを頂きましたが、西郷隆盛のまだおわっ、若い時分の、おぉ、まあ肖像って言うでしょうか、もうはっきりこう頂くんです。どういうことだろうか?と。ここのお広前が、出けます時に、私の控えの横に手洗いがお供えになりました。あれには「西の宮橋」という橋の柱を利用して手洗いが出けてます。そのことをお届けさせて頂いておりましたら、「東に対する西」という意味のことを頂いたんです。はぁ西の宮、合楽はそういう意味で大きな神様の願いが掛けられておるんだな、と。まっ思うのですが、ね、その石の事を感ずるのです。西郷というのは、そういう意味だと思います。「西の故郷」。心の、皆さんの故郷は合楽である。隆盛というのは、「りゅうせい」というのである。皆さんもご承知のように西郷隆盛という人はああいう、大人格の人でございましたけれども、当時の御国からは、国賊呼ばわれをされた人であります。後々それは、あ、解かれて、まあ大変な勲章を受けられたわけでございますけれども、その当時は、西っ、西郷さんはそれこそ、隊に追われて逃げていくという惨めな生涯を閉じられました。後に、その真価、本当なことが分かった時に、ね、改めて西郷さんの偉大さを皆が称えました。西郷隆盛という、今の合楽がそのような立場にあるのではなかろうかと。そこでです、私が如何に合楽理念が教祖の信心の神髄、しかも、ね、その気になれば誰でも行ずることが出けれる手立てが、あらゆる角度から説いてあるんだ、間違いなっ、真の信心とはこういう信心を身に付けて初めて天地との交流が、出けた時、ね、天地との間に、いわゆる、おかげの道が生まれた時、初めて真の信心、真の道を、ルートとしておかげが流れてくる、そこんところを、お互いが辛抱しぬかなければいけません。
これは、簡単に、「お願いします」「お願いしときましょう」というおかげだけでは、また一心に願ったとしても、それは、ね、わが心に神がござるからおかげになるというおかげではなくて、教えそのもの、いうなら合楽理念を元にしての、おかげ、めぐりのお取り払いであり、御神徳を受けていくという。これも、お、同じ時間に、あの水牛という、こう角の、南方あたりにおります。水牛が水の中にこう浸っておるところを頂いた。皆さんもご承知のように、水ということはお恵みということ。牛というのは家のめぐりと合楽では説かれます。お互いが、やはり、家のめぐり、様々なめぐりが、お互いの難儀という形で現れておるのでございますから、ね、そのめぐりのお取り払いを頂くということは、実は有り難い、実を言うたら神愛です。おかげを下さろうとする神様の働きなんだ。ね。
水牛が水にひった、水にっ、お恵みの水にぴったり、めぐりもやはり浸っておるんだと、分かった時に、ね、苦しか、けれども、お礼を言わにゃ、やれ痛や今みかげをいう心になれよ、と。痛い、けれども今めぐりのお取り払いを頂いておるんだと、いう信心辛抱が出けるところに、辛抱力に伴う力であり光であります。そういう力を光を頂いて、おかげを受けた時、初めて合楽理念が実証されるということになるのじゃないでしょうかね。皆さんの一人ひとりが、例えばなら御本部参拝なら御本部参拝、ね、今度も九州から、一教会で千人参るというのは、まあ合楽だけのようでございます。そういうおかげを頂いておる、その一人ひとりが、合楽で言われる合楽理念の行者として、合楽理念を生活の全面に頂いて、そして一心に縋るということであったら鬼に金棒である。必ず光が頂かれる、必ず力が頂かれる。苦しいけれども今こそ、やれ痛や今みかげをという元気な心で、これに取り組んで、えぇ、まいりますような信心の構えをね、皆さん作って頂かなければならんと思います。
今日は、ブラジルの末永先生が、今度の100年祭に、御信者さんを同道で、御参拝のおかげを頂いております。今晩一口でも、先生ご挨拶を申し上げるそうですから、どうぞよろしくお願い致します。

どうぞお願いします。